5.『19歳』不眠症とリタリン。
眠れずに鬱鬱とした毎日を解消すべく僕は精神科の門を叩いた。
誰かがカマを持って襲ってくる恐怖に怯えたり世界中の悲しみを一手に引き受けた気分になったり仕事も育児も全く手につかない状態であった。
ありますね。気分の落ち込みの時に
これを飲んでみて下さい」
その薬の中に、
『CG202』
という記号が打ってある白い錠剤を見つけた。
通院日の明くる朝、ボーッとした頭のままそのCG202を飲みしばらく出勤まで時間があるので煙草を吹かしているとあの白い悪魔がやってきた。
突如頭の中がクールになった。色んな考えが頭の中を駆け巡る。楽しくて仕方がない。
「瞳ちゃん!薬が効いたみたい!元気だよ!」
瞳ちゃんは笑顔で僕に、
「よかったね!お仕事の時間だよ、
いってらっしゃい!」
と言ってくれた。僕も「いってきます!」と元気よくはしゃいで会社に向かった。とにかく無敵な気分だった。
「お、金ちゃん!今日は早いね!」
同じ歳だが2年先輩の『田渕さん』さんから声をかけられた。僕のテンションの高さをやたら喜んで話しかけてくる。
「金ちゃんいつも仕事、下回りばかりだから
今日は足場のてっぺん上りなよ!」
その日から会社の人達はもちろん元請け会社の職人達も僕を見る目が変わっていった。
僕は仕事をどんどん覚えた。読書会での読書も頭に文字がなだれ込むようで全てを記憶していった。僕が読書でとくにハマったのが松下幸之助だった。
後輩もでき、慕われるようにもなった。
やがて僕は班長に抜擢され給料も19歳後半にして35万円貰うようになっていた。
この頃定時制を辞めた福ちゃんを会社に誘い田渕さんと3人で鳶職人の腕を磨いたものだった。
会社が鹿児島に新部所を立ち上げてそこの所長として温水さんが転勤していったのがこの頃だった。
CG202は朝昼晩2錠処方されており毎日が楽しくて何もかもが上手くいっていた。
田渕さんと福ちゃんとで毎日福岡の「百地」という海が近い新開拓地域で車でやってきた女の子達を田渕さんの「マジェスタ」でナンパしに行っていたのもこの頃だ。
ナンパした女の子の友達を福ちゃんに紹介すると福ちゃんはその子とスピード結婚した。
田渕さんにもナンパした女の子の友達を紹介したらまたまたすぐ結婚した。
何をしても無敵な時代だった。
班長にはなったが所詮2時下請け会社であり職長にはなれなかった。僕は激しく職長に憧れていた。仕事の自信は満々にあった。力だけが空回りしていた。
田渕さんと福ちゃんとで毎日将来の万人の上に立つ夢を酒を交わしながら語り合った。
「どんな家に住む?」
「アメリカのどんどん増築する屋敷みたい な?」
「あれは呪いの屋敷だよ!やっぱ東京かな!」
「エリートはアタッシュケース1つだよ!」
「高級キャバクラ貸切な!」
「大社長3人組なー!」
夢追いの日々、3人は将来大を成す事を誓い合った。
3人でよくB’zの
「さよならなんかは言わせない」
を肩を組みながら歌っていたものだった。
25年前、
確かに僕らは夢を追いかけていた。
20歳の11月7日、
僕は鹿児島出張所の所長補佐で鹿児島に転勤となった。
瞳ちゃんと麗華を置いて。
田渕さんと福ちゃんが出張前日に
1曲歌ってくれた。
さよならなんかは言わせない
僕らはまた必ず会えるから
輝く時間を分け合った
あの日を胸に今日も生きている
確かに僕らは夢を追いかけていた。