11.『25歳』舗装屋さんとインターネット
西進工業の門を叩いたのはゴールデンウィーク明けの5月中旬だった。
瞳ちゃんのお父さんの会社で僕はまたペーペーからのスタートである。
社員は瞳ちゃんのお兄ちゃんを合わせて5人。
機械乗りの3人、
『大塚さん』55歳。
『中原さん』40歳。
『田中さん』35歳。
図面書き写真撮りの2人、
『吉川さん』32歳。
『ユウイチロウ兄ちゃん』30歳。
である。
皆んな一癖も二癖もありそうだが機械乗りの『田中さん』はとても仕事を丁寧に教えてくれた。僕は舗装屋さんには向いてないのか毎日会社のボス的存在の『大塚さん』に怒られていて昔、鳶を始めた頃をよく思い出していた。
とにかく僕を目の敵にしていた大塚さんは後から田中さんに聞いた話だが僕が社長の義理の息子だということを妬んでいたらしかった。小さな男だ。
舗装屋さんは役所仕事がほぼで、私道、歩道、高速以外はだいたいアスファルトの厚みが5センチと決まっていた。まずは道路の地盤である路床をユンボ(ショベルカー)で整地する。
それが完了すると砕石という砂利をダンプカーで運んで路床の上に流し落とす。
それをまたユンボで整地する。
それが完了するとその上から乳剤というコールタールを専用の機械で巻きその上に次は砂をスコップで巻く。
その工程を経てアスファルト合剤を『フィニッシャー』という機械で塗り固めていき、塗り固められたアスファルト合剤の上を『タイヤローラー』というでっかい車で押し固めていく。
それでやっと『道路』が出来上がるのである。
僕は始めスコップ作業から始め、次に『レイキ棒』というT時の棒で地面を馴らすことを覚えて次にユンボやタイヤローラーに乗れる『車両系』といった免許を取らされてタイヤローラーやフィニッシャーに乗るようになっていった。ユンボは大塚さんが「まだはやい!」と言って乗らさせてもらえなかった。
やがて僕はユウイチロウ兄ちゃんに連れられて竣工前の現場や道路工事完了の現場に行き測量という仕事をするようになった。
図面の書き方も教えてもらい1人で書いて現場では工事写真を撮りデスクワークをするようになっていった。
ある日、
大塚さんの現場で作業することになり工事写真を撮っているとユンボに乗っていた大塚さんが
「金田!お前邪魔なんだよ!どけ!」
と、ヘルメットをかぶっている僕の頭をユンボのアームの先端を使って叩いたのである。僕は道路に転倒した。
が、一気に頭に血が上り立ち上がるとユンボに乗っていた大塚さんをユンボから引きずり下ろして大塚さんの上に馬乗りになった。周りの作業員達がすぐに止めに入ったが僕はヘルメットを大塚さんに投げつけてその場から帰っていった。
事は重大になり大塚さんは社長から大目玉を喰らい僕のマンションまで謝罪にやってきた。
「もう会社を辞める!」と僕は言っていたが社長夫人、義理の母親とユウイチロウ兄ちゃんからの説得で渋々また会社に戻る事となった。
僕はこの事件をきっかけに測量と工事写真撮り以外はほとんど現場には出ずにデスクワークだけとなった。
「金、おれ彼女ができたぞ!」
ユウイチロウ兄ちゃんが嬉しそうに図面を書いていた僕に話しかけてきた。長い事彼女がいなく僕に「彼女が欲しい彼女が欲しい」とぼやいていたのだった。
「ユウイチロウ兄ちゃん、
どうやって作ったの?」
そう問うとユウイチロウ兄ちゃんは自慢げに言った。
「インターネットだよ、インターネット」
へえ、と僕が適当に答えるとユウイチロウ兄ちゃんはまた続けた。
「『ご近所ネット』ってあるんだよ、
近所の女性と昔でいう文通みたいなもんで
それで知り合ってこの前初めて会ったら
可愛いのなんのって!」
へえ、とまた僕は答えたが今度のへえは適当ではなかった。話しを聞くと彼女探しだけではなく色んな仲間も探せると言う。そこに僕は興味を持った。
僕はこの頃、リンガーハットで一緒だったロトのバンドのドラムの『タロちゃん』と交流があった。
タロちゃんは瞳ちゃんの友達の、
『ういちゃん』
という女性と同棲しており、土曜日の夜にはよく僕の家族と僕のマンションで酒盛りをしていた。
タロちゃんは『ブラックバス釣り』にハマっており僕はこのブラックバス釣りを小学生の頃からやっていて釣りの仕掛けからルアーの作り方まで教えていた。
バンドもこの頃再開して僕とタロちゃんで、
『lover jig』(ラヴァージグ)
といったバンドを組んでいた。
ラバージグとは本当は
『rubber jig』
でありルアーフィッシングで使うゴム製のルアーのことでタロちゃんがスペルを変えて命名した。
lover jigはたまに2人でスタジオに入ったり、瞳ちゃんとういちゃんの時間がある時は2人も同行した。4人でスタジオに入った時はボーカルは瞳ちゃんでキーボードはういちゃんが担当したが基本は
ドラム、タロちゃん
ギターボーカル、僕であった。
ベースは昔と一緒で『ペナルティエリア』時代の『羽原』に頼んでいたが羽原は当時プロであり中々セッションは難しくなんとかインターネットでベースが探せないかと思っていたところであった。
休日出勤したとある日曜日。
僕はインターネットを観ていた。
開いた画面は『YAHOO』だった。
僕以外社員は居らず僕は自宅にパソコンが無くインターネットをするのは会社だけだった。
ネットサーフィンをしたりしているとYAHOOのトップ画面に
『ヤフーチャット』
といったのを見つけた。
僕は「ヤフーチャット」をGoogleで検索してどういったものか調べた。
「色んな地域や人達と
コミュニケーションできる無料ツール」
と書かれていた。
無料ならば、と思い遊び半分で「ヤフーチャット」をクリックした。
なんでも「ヤフーチャット」を楽しむならば「ID登録」が必要らしく、これまた本当に無料かGoogleで調べて無料だということがわかり「ID登録」を進めた。
「ID登録」とはヤフーチャットはもちろんYAHOOでのショッピングやメールなどでも使う大事な名前であり僕はどんな名前にしようか考えた。「ID登録」後は他に「ニックネーム」なるものを5つ持てるらしく5人の人格でヤフーチャットを遊べるらしい。
いくつかID登録しようとしたがどの名前も誰かが既に登録済みで使えなかった。
ふと、昔読んでいた少女漫画「KISSXXXX」を思い出した。
「そうだ、kanonにしよう」
kanonは既に使われているだろうから僕はアンダーバーを使った。
「kanon_kameno」
登録OKが出た。
僕は久しぶりに胸が踊った。
新しい仲間達と出会えますように。
ヤフーチャットデビューの日であった。