32.『26歳』石川で生まれた女-完結-
「あいあーむがーっちゃーいるど!」
小さな声を振り絞りながら鬼束ちひろを熱唱するアヤは握ったマイクは離さないタイプだった。鬼束ちひろが汚れてゆく。それにしてもオンチでしゃがれた声だ。
一通り歌うとアヤは僕にマイクで話しかけた。
「かのーん!ギター聴かせて!」
「嫌だよ、カラオケボックスでギターなんて!」
「じゃあどこで弾くのー?」
ギター持ってきたのは失敗だったが僕はしぶしぶカラオケボックスの窓から見える名島の海岸を指差して言った。
「弾くなら海でだよ」
「じゃあすぐ海に行こう!」
そう言うとアヤは退室の電話をかけた。
「ちょっ!まだ2時間経ってないよ!
退室まで時間あるよ!?」
アヤは僕の手を引っ張って無理矢理退室した。
「寒っ!」
僕がからだをこわばらせるとアヤはキャッキャと笑いながらフラフラ揺れていた。酔っているようだった。
僕達は砂浜の階段に腰を下ろした。
「かのーん!歌ってー!私のためにー!」
僕はこの時何かこの子はおかしいと感じていた。
はあはあ息が上がり始めた。
「アヤ!?大丈夫??どうしたの?!」
アヤは笑顔を作り直すと小さな声で歌った。
息を切らしてさ
駆け抜けた道を
振り返りはしないのさ
アヤの声が途切れ途切れになる。
「アヤ!病院行こう!
すぐ近くに名島診療所があるから!」
アヤは息も絶え絶えにバックからピルケースを取り出して中に入っていた錠剤を飲み込んだ。
僕は慌ててアヤに、
「そこの自販機でお茶買ってくるから!!」
と言い自販機に走った。
温かいお茶を買ってくるとアヤが海の防波堤の扉にはあはあ言いながら自分で持ってきたらしいマジックペンで何かを書いていた。
「アヤ!!お茶飲んで!座って休んで!
ちょっとしたら診療所行こう!」
アヤにお茶を飲ませて座らせるとアヤの背中をさすりながら話しかけた。
「どこか悪いの?今タクシー呼んだからね」
アヤはにっこりと笑うと首に巻いてあるネックウォーマーを外した。
喉から鎖骨にかけて縦に痛々し傷跡があった。
「気管支から、黴菌、が、入ったみたいで、
去年、、切ったんだけど、、」
僕は驚いたけど「うんうん」と話しを聞いた。
「肺に転移してる、、みたい、」
全て合点がいった。
グイグイ引っ張るのも急いでいるように見えた行動も長くないかもしれない命の為だった。
タクシーのヘッドライトが名島の海岸を照らした。
「アヤ、タクシー来たから病院行こう!」
石川県からアヤの両親が福岡にアヤを迎えに来た。
僕は怒鳴られる覚悟だったがアヤの両親は僕に深々と頭を下げてくれた。
「金田さんに会えて、
アヤも喜んだことでしょう。
アヤがもし、また元気になったら
今度は金田さんが石川県に来て下さい」
僕も深く頭を下げた。
アヤは簡易酸素マスクを付けていて静かに眠っていた。飛行機に乗せられない為に車での帰宅となったようだ。車は大手レンタカーを借りた。石川県で返車できるとのこと。
最後に眠っているアヤの手を握った。
そして「さよなら」をした。
こんなことなら会わなければよかったというどこかで聴いた歌が頭に流れた。
それ以来、アヤとは連絡が取れなくてなった。
チャットの友達「じょじょ」に話しをすると、
「そのアヤちゃんは
防波堤の扉に何を書いてたのかな」
と言った。
僕は「そうだった!」とじょじょに言われてそのことを思い出した。
日曜日の天気が良い昼間、
僕は名島の海に足を運んだ。
あの時の防波堤の扉の場所を探した。
少し薄くなっているピンクのマーカーでそれは綴られていた。
2001/1.28
かのん、
今度はいつ会えるかな
また会えるかな
忘れないでね
あや、
僕はその場に座り込んだ。
アヤがどうなったのか
もうわからない。
https://m.youtube.com/watch?v=GcVXpFrlDuI