アルコール中毒ROCK

酒と病気と音楽と人生を転がり倒す。

9.『23歳』職人堅気。

金田組は福岡の桧原町の片隅に30畳程の2階建て事務所を借りた。

1階は道具置き場と社員の私物と安全帯、ヘルメットなどを仕まうロッカー置き場にした。あとは朝、下請けの職人達が現場へ出発までの休憩所でもあった。

 

毎朝事務所に20名前後の西海工業の職人達が顔を出し、瞳ちゃんも朝から自転車で事務所に来てお茶汲みをしていた。瞳ちゃんは職人達にお茶を出して昼間飲む麦茶も1人で用意して皆んなに持たせた。皆んなからは自然と「姉さん」と呼ばれるようになっていった。

毎朝職人達を送り出すのが戦争だった。

 

 

夕方、現場が終わると職人達は事務所に帰ってきて瞳ちゃんが出すお茶を飲みながら日報を付けていた。西海工業の職人達は事務所の明日の作業工程をメモすると「お疲れ様でした!」と挨拶して帰っていく。

 

「社長、宮ちゃん根伐り、してくれませんよ?」

 

吉さんが宮崎の不満を漏らした。

 

根伐りとは「根伐り掘削」と言い、建物が地面に建つにあたって地面を掘り返し地中から土工事を行うとても大事な工程の1つである。

とても汚れる作業かつ、地味な作業だがその工程が終わると鳶の腕の見せ所「鉄筋足場」と言った単管パイプのみで地中基礎鉄筋を支えるためのジャングルジムのような足場を組む工程が入る。

鉄筋足場をちゃんと組めるかどうかで鳶の腕がどうかわかると言ったものだ。

宮崎はこの鉄筋足場が何より好きだがいかんせん土工事を嫌う為に吉さんがそこに腹を立てていた。

 

「鳶は何でもできて鳶ですよ、

   宮ちゃんはカタワ鳶じゃないですか」

 

吉さんがまた不満を漏らした。

 

今では鳶と土工は作業工程が分かれている会社があるが本来鳶は土工事は勿論、生コン打設、大工仕事、木こり、左官、鉄筋組立、溶接、鍛治工と色々やっていたものだった。

宮崎は足場以外やりたがらず、それは福ちゃんも宮崎に不満を漏らしていた。吉さんが言う「カタワ鳶」とは足場しかできない、生コン打設土工事ができないハンパ者の職人を指す。

宮崎は今年22歳になる。22歳にしては鳶の腕は大したものだった。ただ素直に吉さんや福ちゃんの言うことを聞いてくれればもっといい職人になるのだが自分が1番最初に金田組に入ったというプライドみたいのがあるらしく吉さんと福ちゃんの言うことは聞こうとはしなかった。

 

 

 

 

 

 

 

「金ちゃん、私、ヤクルトでパートしようと思うの」

 

瞳ちゃんの言葉にびっくりしていると瞳ちゃんがまた僕を見て言った。

 

「1日2時間くらいだし子供達も保育園だし、

   私、金ちゃんと出会って世の中を見てないし

   やってみようと思うの」

 

まだ僕が困惑していると瞳ちゃんは笑顔になった。

 

「大丈夫。金田組には迷惑かけないから。

   今まで通りだよ。社会勉強させて?」

 

僕は瞳ちゃんがここまで言うなら駄目だと押さえ付ける理由も無いし「無理しないでね」と瞳ちゃんを応援する形となった。

 

 

 

 

 

 

 

金田組は普通に福岡に浸透していた。

晴れの日も雨の日も風が吹く日もそれぞれ、職人達は頑張っていた。

秋風吹く24歳。

会社はそれなりに上手くいっていた。

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